フォト

ソフトウェア 喝

  • 学習し始めた企業責任者
    社会システムの開発遅延、障害などで世間を騒がせました。もっとも大きな失敗は、そのときの責任者の対応の拙さです。失敗を隠す。うそをつく。同じ過ちを学習しない。

« 池田山 | トップページ | 西郷山へ »

2018.10.07

日本橋で七味

日本橋へ

久しぶりに晴れて暑くなった連休初日を日本橋へ。

日本橋3歩は、七味唐辛子を買うためです。


友達から長野善光寺の八幡屋磯五郎の七味唐辛子を頂いた。
Img_4656


実は、長野善光寺へお参り予定をしてから2年過ぎています。
毎年、数回長野駅へ行くのですが善光寺さんへお参りしたことがありません。善光寺さんへは、お参り
と七福神巡り。それと七味唐辛子と七味のお菓子さらに信州そばです。
仲間からまだ行っていないの?。と言われ続けられています。


七味唐辛子はスーパの物を使っていました。
けれど2年前、小説に出てくる七味に興味を持つた。
小説はテレビ放映もされた 内藤了「猟奇犯罪捜査班 藤堂比奈子+」シリーズで、主人公・藤堂比奈子が愛用しているのが、「八幡屋磯五郎」の七味唐辛子で、七味の使われ方が面白い。
文庫本はシリーズ11冊続いていて、11巻の帯に次回「BURN」でついに完結とあります。



長野・東京・京都の七味唐辛子を揃えたく、
浅草「やげんぼり」の辛味を薄めで調合してもらった七味を購入。
京都の七味は京都アンテナショップが閉店してしまい、今回、日本橋高島屋の京都展へ出かけた。七味購入した。

薬研堀の七味唐辛子
Img_4655
薬研堀の七味菓子
Img_4506
00
京都七味家の七味
Img_4651

神田駅から歩く、昼そばは福島県のアンテナショップで天栄村のお蕎麦特別イベントがあり入店。
天ざる 美味しいそばが半分食べ残る⁉。

Img_4637



七味購入後は日本橋の「魚河岸跡地」へ。
10/6は築地魚河岸市場が最後の日。
83年間続いた築地も魚河岸跡地になる。

日本橋魚河岸跡 日本橋の北詰・東側に

Img_4645

Img_4644

日本橋魚河岸跡
所在地 中央区日本橋室町一丁目八番地地域
 日本橋 から江戸橋 にかけての日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする「魚河岸 」がありました。ここで開かれた魚市は、江戸時代初期に佃島の漁師たちが将軍や諸大名へ調達した御膳御肴の残りを売りだしたことに始まります。この魚市は、日本橋川沿いの魚河岸を中心として、本船町・小田原町・安針町(現在の室町一丁目・本町一丁目一帯)の広い範囲で開かれ、大変な賑わいをみせていました。
 なかでも、日本橋川沿いの魚河岸は、近海諸地方から鮮魚を満載した船が数多く集まり、江戸っ子たちの威勢のよい取引が飛交う魚市が立ち並んだ中心的な場所で、一日に千両の取引があるともいわれ、江戸で最も活気のある場所の一つでした。
 江戸時代より続いた日本橋の魚河岸では、日本橋川を利用して運搬された魚介類を、河岸地に設けた桟橋に横付けした平田舟の上で取引し、表納屋の店先に板(板舟)を並べた売場を開いて売買を行ってきました。
 この魚河岸は、対象十二年(一九二三)の関東大震災 後に現在の築地に移り、東京都中央卸売市場へと発展しました。
 現在、魚河岸の有ったこの場所には、昭和二十九年に日本橋魚市場関係者が建立した記念碑が有り、碑文には、右に記したような魚河岸の発祥から移転に至るまでの三百余年の歴史が刻まれ、往時の繁栄ぶりをうかがうことができます。
(写真)日本橋から見た震災前の魚河岸(左端)と日本橋川の様子、奥は江戸橋
平成十九年三月
中央区教育委員会


日本橋

Img_4650
日本橋
Img_4649
日本橋から下流方向
Img_4647



暑い日でアイスコーヒで休憩。

口内炎が右側内に広がり、反方向は奥歯抜歯のまま3ヶ月経過の治療中で食事が美味しくない。
夕食の焼鳥2本が2時間もテーブルにあった。
なんとか完食。



« 池田山 | トップページ | 西郷山へ »

今日の出来事」カテゴリの記事